豊見城市
戦争被害の状況
沖縄戦で村民の4割が犠牲に
豊見城村(現豊見城市)は日本軍の海軍司令部壕や陸軍第二野戦病院壕が立地し、民家や学校が日本軍の宿舎になる等、軍民一体化が進んでいました。1944年より学童は宮崎県へ、翌年2月には大宜味村へ島内疎開を開始。1945年6月4日小禄半島へ米軍が侵攻し、豊見城村内においても本格的な地上戦となり、6月内に約2,000名の村民が命を落としています。その後も米軍の侵攻に追われ、さらに南へ逃げ惑い混乱を極めました。
沖縄戦で豊見城村の約3,600名、当時の人口4割が犠牲となりました。戦後も不発弾事故が発生し、戦地から生き延びた命も犠牲になってしまいました。








