播磨町
戦争被害の状況
物の根こそぎ動員による銅像の消失
1942年(昭和17年)に「物の根こそぎ動員」である金属回収が実施されると、寺の鐘が姿を消しました。それと同時期に、播磨小学校に設置されていた青銅製の二宮尊徳像も供出され、後に寄贈された備前焼の像に置き換えられました。
空襲被害としては「町内に大きな軍需工場がなかったので、住友多木化学工場が、終戦を目前にした1945年(昭和20年)7月28日、機銃掃射を受け生産を一時停止した程度で済んだ」という記録がある一方、「隣接市の工場や市街地に、夜空を焦がして投下される焼夷弾の雨が本町から眺められた」など、住民が恐怖にさらされた様子の記録も残っています。

戦後の復興の歩み
平和の象徴~青い目のメリーちゃん~
戦前、日本とアメリカで友好の証として交わされた日本人形と青い目の人形の多くは、戦時中に敵国の人形として、失われてしまいました。心ある人々の手によって生き延びた播磨町の青い目の人形メリーちゃんに、平和と人権の象徴として播磨町の住民票が交付されました。2018年、「青い目の人形 メリーの旅」が出版されたため、著者の西村恭子さんとともに8年ぶりに町長を訪問されました。