雲南市
戦争体験記
戦争体験を通して
原さんは昭和14年12月に当時23歳で出征され、南洋第四支隊に所属し、モートロック諸島の警備に従事されました。モートロック諸島で終戦を迎えその後帰還。平成30年にお亡くなりになりました。
私は、二十三才の時、南洋第四支隊の一員としてモートロック諸島の警備に従事しました。楽しいことはなく、空襲ばかり。外国の射撃ばかりで、大砲が飛んできては、ヤシの木十本の内七本が飛んだりしました。島が変形するくらい、玉が飛んできました。上陸されなかったので命は助かりました。
最初の一年は、ご飯(米と麦ととうきびをまぜた物)三食は食べていました。おかずは副菜一食、ご飯のおかわりはなし。
お風呂は、一ヶ月に一回。ドラム缶に湯をわかして、偉い人から入り最後は湯をかけるだけでした。湯をわかすのにも、とつレンズを太陽にかざして火を起こし木をこさげて大きな木を焼きながら火が消えないようにしました。火が消えると食事、風呂など全てが困るからです。火が消えないように寝ずの番です。その内食料もなくなり、草やねずみ、とかげ、やどかり等みんなで捕って食べました。この島は、ねずみが多かったのです。ねずみは、一人で十匹位つかまえました。味は鶏肉に似ていました。野菜は、かぼちゃの種をまきました。め花が出た時は、小ねずみが食べるので土をかけたりつかまえたりしていました。
終戦は、ラジオで聞きました。日本の軍艦が迎えにきて、横須賀浦賀に帰りました。家では妻がすぐ風呂をわかして喜んでくれました。自由がないということ、命の尊さを実感しました。戦争が二度と起こらないことを願っています。
① 祖国ハナレテ南ニ、千里
赤道近クノ大海原ニ
ミドリノツラダマ ユメカトウカブ
ココガ南洋ノモートロック
② 守ルツワモノ 其ノカズ一千
テキ機テキ艦シリゾケテ守リ通シタ
コノ、二年 島ノミナサンアリガトウ
③ グアム、サイパン、小笠原
伊豆ノ島々左ニ見 遠クカスム東京湾
左ニ高ク富士ノ山
南洋第四支隊八
原隊松江西部六十四部隊
モートロック 戦友会 吉本 靖吉 原 秀雄
ラバウル小唄の変え唄
出典 (書籍名)語り伝えたい 戦後七十五年史/(発行者)雲南市遺族会/
(発行年月)2020年1月/(ページ)P100・P101・P102