日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

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川辺町

戦争体験記

特攻隊入隊 長崎での被爆体験 ボートが平和の象徴に

井戸 喜男 氏

【井戸喜男さんの経歴概要】
大正15年2月13日 川辺町鹿塩に生まれる。(当時は加茂郡三和村鹿塩)
17歳 東濃実業学校在学中 海軍甲種飛行予科練習生に志願し合格
           岐阜県内24名が「茨城県土浦海軍航空隊」に入隊
18歳 上海の航空隊に転属(4月)
           朝鮮全羅南道光州海軍航空隊に転属(11月)
19歳 第12航空艦隊光州特攻隊が編成・熊本天草航空隊に転属
   8月 9日 長崎市の航空監視所で敵機の迎撃索敵中に被爆
        8月15日 敗戦を伝える天皇陛下の玉音放送を聞く
          9月末  兵役を解かれて帰省 焦土と化した広島を目の当たりにする

 昭和20年8月15日正午。NHKラジオは玉音放送(天皇の肉声)により、全国民に日本が戦争で降伏したことを伝えました。一般 にこれを太平洋戦争の終結として、毎年この日を「終戦記念日」としています。井戸喜男さんは、海軍の志願兵で川辺町を離れ、特攻隊入隊や長崎での被爆など大変貴重で過酷な戦時中の体験を語ってくださいました。

【井戸さんは、いくつから兵隊に行かれたのですか?】
 17歳の時、岐阜中学での学科試験、広島県大竹での適正試験に合格して鹿塩からは私を含め3人が入隊しました。岐阜県では24人だったので、当時の三和村長はとても喜んでくれたね。しかし、茨城県の土浦(航空隊)に行ってからは、生活が180度変わってしまった。とにかく訓練が辛くて辛くて。休みもなく毎日訓練でへトへトでね。冬のボート訓練では海に突き落とされ濡れた服のままで広い飛行場を全力で走り、あげくの果てに食事も取り上げられたり。学科で眠い時は、みんな、針で自分の指を刺して眠気を覚ましていたよ。

【訓練が厳しくて帰ろうとは思わなかったですか?】
 そんな考えは一切無かったねぇ。志願して来た身で壮行会では盛大に送りだしていただいたし、とにかくみんな一生懸命に訓練には耐えたよ。でも、たいしたものでねぇ、全くできなかった者が、もう必死でやるから、あっという間にみんなマスターしていくんだから。
 茨城県の土浦での訓練を終えると、4月に上海、11月に朝鮮の光州海軍航空隊に転属したんだけど、光州は敵機の襲来もなく穏やかな田園の町で、日本人で、しかも兵隊の我々に励ましの言葉や多くの食料(銀飯)を恵んでくれた恩を今も忘れることができないね。
 昭和20年の5月に光州で「特攻隊」が編成され、出撃は順番待ちだったよ(※機体と燃料が整うと特攻隊として出動する)。私たちは、光州を飛び立ち熊本県の天草航空隊に転属し、長崎市の航空監視所でモールス信号により自機との交信や敵機の迎撃索敵の任務にあたりました。8月6日。「広島市に新型爆弾の投下あり」の電信を受けたが、当時は「原子爆弾(原爆)」という言葉が使われていなかったから新型爆弾がどんな規模でどんな被害になったのか全く分からなかったねぇ。
 そして、8月9日、午前11時。夜間勤務を終え、3人の友人と格納庫で仮眠中に強烈な閃光と爆風に襲われてね、監視所は高台だったから、眼下の街を見渡すと、炎と煙で街全体が何も見えなかったよ。午後3時頃、私たちの兵舎に、衣類や髪は焼け、皮がめくれ、裸同然で男女の見分けもつかない人たちがトラックで運ばれてきた。「水!水!」「あつい!助けてくれ!」と言葉を繰り返す。我々は、その人たちを抱いて格納庫や兵舎の中や木陰に寝かせ、徹夜での給水にあたりました。医療器具ひとつ無く、ただ見守るのみでした。翌日も燃え続いている炎と白煙の中、各地から警防団や防護団体が到着し、一緒に救護活動に明け暮れたけど、異国情緒に満ちた長崎の街は消えてしまったよ。
 8月15日に、鳴きしきるセミの声の中、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」と陛下の玉音放送で敗戦の事実を知り、みんな泣いたね。整列していた兵隊の中で、声を上げて泣いた者もいた。9月に残務処理を終えて岐阜に帰る途中の列車で、広島駅に約20分間の一時停車があってね、下車してホームに立って辺りを見つめると・・・茫然としたよ。原爆投下の2年前に広島の市街地を友だちと歩いた時はとっても華やかな街だったから、その変貌ぶりに言葉を失ったね。
 今では戦友もほとんど亡くなってしまって、戦争体験を話せる人も少なくなってしまったよ。以前、戦友が川辺町に遊びに来てくれた時に、湖面に浮かぶボートを見つめ「平和になったなぁ」としみじみ語って言ったよ。きっと彼もあのボート訓練を思い出して言ったんだろうね。
【井戸さんが今思うことは?】
 とにかく今の平和な時代に感謝して欲しい。右左なにも分からない17歳の子ども達が戦争してきたんだから。本当にむごかった。若い子は、どんなことも打ち明けられる友だちを作って欲しいね。