港区
戦争体験記
子どもの頃の戦争の話
(自己紹介)
新橋駅そばの「港区立生涯学習センター」には、区民有志が集まってできた「港区語り部の会」があり、私は21年前からの会員です。会では、区内の小学校へ出向き、生徒たちに昔の話をするなどの活動をしています。
(本文)
今日は私が昔の話をします。昔の話と言っても大昔の話ではなく、私の小学生の頃の話です。
それはおよそ80年前のことです。そのとき日本は戦争をしていました。知っていますか。知らなかったとしてもいいんですよ。80年前というと、みなさんのお父さんやお母さんではなく、その親のお父さんやお母さんでさえ、未だ生まれていなかったのですから、みなさんが知らなかったとしても当然です。
日本は1941年に、アメリカ、イギリス、オランダ、中国を相手に戦争を始めました。実は中国とはそれより4年も前の1937年から戦争をしていました。初めのうちは日本が勝っていましたが、途中からアメリカが強くなって押し返されだしました。
そして1945年の夏、「日本は負けを認め、戦争はやめます。」と、相手の国に申し入れたのです。
アメリカが原子爆弾を日本に落としたことは知っていますよね。もし、みなさんが知っているとしたら、毎年8月になると、テレビや新聞が取り上げるので、それを目にしたことがあって知っているのだと思います。
では、ここでまたみなさんに質問します。「原爆は2つの都市に落とされましたが、それはどことどこだったでしょう。」
そう、広島と長崎ですね。
原爆はそれまでの爆弾とは桁違いの、もの凄く強力な爆弾でした。一発の爆弾で、広島では10万人以上の人が、長崎では7万人以上の人が、一瞬にして亡くなってしまったのです。
みなさんには、原爆のことではなく、それ以外の戦争のときのことをお話します。でも、終戦の年に私は中学1年生、未だ子供でしたから、この戦争のすべてを詳しく知ってはいません。知っていることはごく一部のことです。
ここで、また質問します。
「この戦争では多くの日本人が亡くなりました。戦死した兵隊さんと、空襲などで亡くなった一般の人々を合わせると、この戦争でどれくらいの数の日本人が、亡くなったと思いますか。」
およそ3百万人です。
この数を聞いてそれがどれほど大きい数なのかすぐにはピンと来ないと思います。判りやすく説明しますね。今、みなさんが学校に通っていたとします。生徒の数を、仮に1学年が百人とすると、一年生から六年生までで6百人になります。では生徒が6百人いる学校がいくつあると3百万人という人数になるでしょう。簡単に計算できないと思いますのでその答えを言います。5千です。5千もの学校の生徒全員を合計するとやっと3百万になります。
それほど多くの数の人たちがこの前の戦争では亡くなったのです。戦争って嫌だよね。したくないよね。
さっき言いましたが、1942年になると、日本は負け始めました。やがて空襲が始まりそうだということで、国の方針として、都会で暮らす子供たちを守るために、学校ごとにまとめて、地方へと引っ越しさせました。それを学童集団疎開と呼びました。
私たちは、その様子を知ってもらうために、紙芝居を作りました。戦争が終わり、東京へ帰れるようになります。紙芝居では、一人の女の子が帰ると、既に焼け跡にバラックが建っていて、無事だった両親に迎えられたという形で終わります。
でも、実際にはこのような幸せな子供ばかりではありませんでした。疎開している間に、空襲で住んでいた家は焼かれ、その上、何とお父さんもお母さんも焼け死んでいたという、子供も大勢いたのです。
親戚の家に引き取られて行った者もいましたが、当時は食料が不足していたので、引き取った先でも余分な者が増えるのは大迷惑、いい扱いはして貰えません。
でも、そのような行く先のあった者はともかく、無い者はどうしたでしょう。上野公園に野宿して暮らす子供たちがいました。昼間仲間と一緒に上野駅へ出かけます。駅では汽車に乗る人たちが大勢改札口の前に並んでいます。中には荷物を手に持たず足元に置いている人がいます。隙をみてその荷物をかっぱらうのです。悪い事ですが彼らにしてみれば生きるためにはしなくてはなりません。
被害者が警察に訴えたとしても警察は捕まえません。それは捕まえても入れる施設は無いし、例え施設があったとしても捕まえていれば、食事をさせなくてはなりません。その食料が無いので捕まえないのです。
戦争というものは、戦争中に起った悲惨なことだけではなく、終わったあとも長い間、このような厳しい状態が続くのです。
今のみなさんは、食べる物にしても、着る物にしても、何でも充分にあってすぐに買うことができます。家にしてもボタンひとつ押しさえすれば暖房も冷房もできます。このようなことは、今は特別のことではないので、別に何とも感じないことでしょう。でも、戦争にでもなればこういうことはすべてなくなってしまうのです。それどころか、いのちまでも失ってしまうのです。
平和であることがいかに大切でいかに有難いことであるかを決して忘れないでくださいね。
