日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

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浦添市

戦争被害の状況

激戦地だった浦添
 1945年4月1日、圧倒的な兵力を携えて上陸した米軍に対し、日本軍は嘉数高地(宜野湾市)と浦添城跡一帯(前田高地)に防衛線を張り、米軍を迎え撃ちます。断崖絶壁の前田高地は「ハクソー・リッジ」と呼ばれ、米軍は容易に攻めることができず、激しい攻防戦が繰り広げられました。
 住民は、凄まじい砲撃のなか、弾薬を運び陣地づくりの作業にかり出され、民家を兵舎として利用されたことなどから、多くの人が逃げ場を失い命をおとしました。当時、浦添の人口は約9,200人でしたがそのうち戦争で亡くなった人は4,112人で、実に44.6%の住民が犠牲になりました。