鹿児島市
戦争被害の状況
8回の空襲で市内の9割以上消失
鹿児島市が直接の攻撃目標となったのは、昭和20(1945)年3月18日から8月6日の計8回の空襲でしたが、北部九州ほか、九州全域への攻撃のため、本市は米軍機の通過地点に当たり、機影を見ない日はほとんどないという状況でした。
また、特攻基地は鹿児島にしかなかったので、米軍の鹿児島に対する攻撃は他の地方都市と比較にならない激しさでした。
8回にわたる空襲によって、市内は焼け野原と化し、受けた被害は、死者3,329人、負傷者4,633人、行方不明35人、その他10万7,388人、合計11万5,385人に達し、市街地の約93%、327万坪(1,079万平方メートル)を焼失しました。