日向市
戦争被害の状況
海軍富高飛行場
日向市財光寺地区には、昭和初期に航空兵士教育のための海軍富高飛行場が造られ、真珠湾攻撃に参加した航空部隊の一部もここで訓練を行いました。この飛行場があったため、本市は米軍から特に激しい機銃掃射や爆弾投下を受け、富高飛行場とその周辺は戦後しばらくは爆撃痕が蜂の巣のように無数に残っていました。現在も、富高飛行場の跡地には、直径12メートル、深さ約5メートルの大穴の爆撃痕が残っています。また、米軍が宮崎県の海岸から上陸してくることが予測されていたため、それに備えて細島地区には人間魚雷「回天」が、細島地区と美々津地区には特攻艇「震洋」が配備されていました。
その一方で、沖縄から戦火を逃れた学童や教諭などが疎開し、第1富高国民学校等において、寒さや空爆の恐怖、食糧難などに耐えながら生活しており、地元の人々はその援護にあたりました。

