別府市
戦争被害の状況
温泉観光都市が兵士の療養地へ変貌
多くの外国人観光客が訪れるなど国際的な温泉観光都市としてにぎわっていた別府市は、戦局が悪化すると温泉を利用した療養都市として変貌を遂げ、市内に置かれた海軍病院や陸軍病院では多くの傷病兵が治療を受けていました。戦前の賑わいを支えていた旅館は、軍の施設や臨時病床へと変わり、料亭やカフェなどは、営業を停止するなど、戦争によって街の様子は、大きく変化することになりました。
また、戦後は全国初となる被爆者向けの温泉療養施設の「原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所」(2011(平成23)年閉鎖)が開設され、原爆被爆者の治療・保養の拠点として貢献しました。





戦後の復興の歩み
別府の街にアメリカ軍のキャンプ地があった
別府市は空襲被害の少なかった地域なのですが、その理由としては「世界的な温泉地であったため、戦後活用することを考えていたため」や「海路、陸路ともに整備された要地であったため」と言われています。
戦後1946年から1956年までの10年間、別府市にはアメリカ軍のキャンプ地がありました。その名は「キャンプ・チッカマウガ」敷地内には教会や図書館などの施設もあり、インフラも整備され、そこで多くのアメリカ兵たちが暮らしていました。
キャンプ跡地は、現在では「別府公園」となり、市民の憩いの場となっています。
