大分市
戦争被害の状況
1945(昭和20)年3月18日に初めて空襲にさらされてから終戦までの間、大分市は20回を超える空襲を受けました。
その中でも7月16日夜半から17日未明にかけての空襲では、B29攻撃機30数機が約6,000発の焼夷弾を市中心部に投下し、被害は、全焼家屋2,358戸、半焼130戸、焼き出された人10,730人、死者49人、負傷者122人と甚大なものとなりました。
「大分駅に立って眺めたら、浜町の海が見通せた」と言われるほど、大分市の中心部は焼き尽くされました。

戦後の復興の歩み
戦後、食糧難など苦しい生活の中、空襲で焼く尽くされた大分市街地の復興も急ピッチで進められました。昭和21年の特別都市計画法の制定に伴い、すぐに復興計画が樹立され、戦災復興事業に沿って、幅員36mの中央通りや、昭和通りといった街路のほか、市街地内に若草公園やジャングル公園といった各種公園が整備されていきました。昭和25年には優秀な復興モデル都市として表彰を受けるなどし、昭和30年頃には、ほぼ新しい町並みへと生まれ変わっていきました。

