錦町
戦争被害の状況
山の中にできた海軍航空隊
1944年(昭和19年)2月、海もない山の中に「人吉海軍航空隊」が開隊しました。長さ1500m、幅50メートルの本格的なコンクリート製滑走路を有する中継基地として建設され、5月には海軍飛行予科練習生の受け入れを開始。整備術を習得した約6,000名が輩出されました。1945年(昭和20年)に入ると、各地からの神風特別攻撃隊員の疎開訓練場所として機能する中、アメリカ軍艦載機による二度の空襲によって地上施設は壊滅しましたが、大規模な地下施設群の掘削およびガソリンの代替燃料である松根油の製造が終戦まで続けられました。
