嬉野市
戦争被害の状況
市民の記憶に刻まれた 戦争と原爆
長崎原爆のキノコ雲を見たという市民は次のように証言しました。「1945年8月9日、原子爆弾が投下された日、その巨大で不気味な雲は 長崎から100km近く離れた嬉野でも見えました。」そして嬉野海軍病院(現嬉野医療センター)には、「長崎原爆投下の翌日、原爆被災者が、長崎県の彼杵(そのぎ)駅から患者バス2台とトラック2台で何回も運ばれ、最初に100名、その翌日に80名も運ばれてきた。」また、「開院時の収容定員は100名であったが、終戦前の収容患者数は2200名に膨れ上がっていた。」とも伝わっています。


