飯塚市
戦争被害の状況
少年飛行兵の墓
飯塚市では戦争当時、(福岡県の主要都市である)福岡市、北九州市への空襲のため飯塚上空を飛び交う爆撃機や赤く染まる空に、市民は日々、恐怖に怯えていたといいます。
そのような中、太平洋戦争も最末期となった昭和20年8月8日、アメリカ軍爆撃機の大編隊が北九州を襲います。それを迎え撃つため、一人の少年兵が乗った飛行機が、たった一機で長崎県から発進しました。
同機は、飯塚市上空で大編隊に突入し、壮絶な空中線の末、火だるまとなって撃墜されました。戦闘を目撃していた住民によれば、山の木々が風圧で大きく揺れ、機関銃の薬きょうが民家の屋根に落下したそうです。
駆け付けた住民によって収容されたのは、まだあどけない18歳の少年の遺体でした。墜落地点には慰霊碑が建てられ、その後建て替えを経て、悲惨が戦争に記憶として、今も大切に守られています。
