熊野町
戦争被害の状況
原爆の爆風で割れた窓ガラス
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分。広島市に原子爆弾が投下されました。熊野町では直接の大きな被害はありませんでしたが、それでも原子爆弾投下直後には強烈な爆風に襲われ、建物の窓ガラスが壊れるなど恐怖を感じたと当時の様子が語られています。午後2時を過ぎたころから、わずかですが町内の縁故者を頼って被爆者が避難してきました。広島市に出ている肉親や縁者の安否を気づかい、捜索に出かけていく人も増えていきました。
原子爆弾による熊野町民の死者は42人。その中で学徒動員による死者が21人と最も多くなっています。また、救護活動として8月8日から22日までに述べ100人の警防団が被爆者の輸送のため広島市へ出動しました。

戦後の復興の歩み
町制100周年記念誌に戦争体験を記録
広島市に原子爆弾が投下された8月6日の午前8時15分、長崎に原子爆弾が投下された8月9日午前11時2分、終戦記念日の8月15日正午には、原爆死没者の御霊を慰め、世界恒久平和の実現を祈念するため、町内放送で全町に黙とうの呼びかけを行っています。また、学校教育では、平和学習の一環として平和記念公園、広島平和記念資料館の訪問を継続しています。
2019(平成31)年に「繋ぐ」と題して発行した町制施行100周年の記念誌では、町民3名に戦争体験を語っていただき、後世へ繋ぐ記憶として掲載しました。