府中町
戦争被害の状況
府中町への避難者
「六日の午前八時半を過ぎたころから、当町に流入する避難者を見はじめました。この人たちは、矢賀町を経て府中大橋に至り、そこから、各方面に向かったもので、府中町に避難した者は、主として府中国民学校を目指して集まり、時間が経過するにしたがってその数は増す一方でした。顔や手足の露出部分はひどい火傷をうけ、皮膚はちぎれたようにぶら下がりボロボロになった被服のまま、必死の形相で逃げてくる様は、生地獄さながらの感がありました。
この中には、府中在住の者で広島市内で被爆した者もいたが、ある者は、町に逃げ帰ったという安心感から気が緩んだのか、または精魂尽き果てたのか、我が家にたどり着く途中で倒れる者もありました。」
(参考「府中町史」)