竹原市
戦争被害の状況
竹原市忠海町の沖合3Kmに位置する大久野島は、昭和2年に島全体が毒ガス製造を目的として旧陸軍の管理下に置かれ、昭和4年には忠海兵器製造所による毒ガス製造が始まり、昭和20年の終戦まで続けられました。日本軍の化学戦の実態は秘匿され、毒ガス製造の事実は、昭和59年の報道までほとんど知られていませんでしたが、現在では毒ガス兵器の研究開発は旧陸軍科学研究所(東京)、大量製造をした大久野島(竹原市)、充填は曽根(北九州市)、化学戦の運用・訓練には旧陸軍習志野学校といった構図が明らかになっています。

