岡山市
戦争被害の状況
6月29日、岡山市街は猛火におおわれた
1945(昭和20)年6月29日午前2時43分、テニアン島から飛び立ったB29爆撃機の最初の1機が岡山市上空に現れ、焼夷弾を落とし始めました。空襲は、午前4時7分まで1時間24分もの間続き、その間に138機のB29が約890トン、95,000個もの焼夷弾を投下しました。岡山に空襲を行った全てのB29は、現在のNTTクレド岡山ビル前の交差点を中心として、半径約1.2kmの円内に焼夷弾を投下し、全てを焼くように計画されていました。しかし、実際には更に広範囲の岡山市街地が猛火におおわれ、当時の市街地の63%が焼失しました。この空襲により、少なくとも1,737人の尊い命が失われました。7月に入ると、艦載機による空襲などもあり、これらの戦災により多くの犠牲者が出ました。



戦後の復興の歩み
復興、そして平和都市を目指して
空襲により焼野原となった岡山市は、昭和27(1952)年の10村合併により20万都市になり、市政発展の基礎を築きました。昭和34(1959)年頃からは、岡山駅周辺整備、市民会館落成、旧岡山空港の開港など近代的都市づくりを急ピッチで進めました。戦後、市民の着実な努力により、岡山市は地域の中核都市として成長を続けています。
そして、岡山市では、日本国憲法の恒久平和の理念に基づき、平和な社会の実現を目指して、戦争の惨禍が再び繰り返されることがないよう、昭和60(1985)年に「平和都市宣言」を行い、平成元(1989)年には、岡山空襲のあった6月29日を「岡山市平和の日」と定め、平和を祈念する様々な取組を行っております。

