宝塚市
戦争被害の状況
航空機工場への空襲で動員学生も犠牲に
宝塚市で直接爆撃の対象となり空襲を受けたのは、川西航空機宝塚製作所でした。1945(昭和20)年7月24日、B-29と小型艦載機あわせて約150機から爆弾が投下され、20機ないし40機による波状攻撃が同所の目標に加えられました。
その被害は工場のみにとどまらず、犠牲者の遺骨の数は120柱でしたが川西航空機の報告では死者が83人となっており、それ以外の40人近くの犠牲者は、動員学生か女子挺身隊員、または軍人であったと推測されます。
それ以外にも、市内各所で機銃掃射や爆弾が投下されました。


