東大阪市
戦争被害の状況
空襲で3,000戸超の建物疎開を実施
大阪の空襲は昭和19年12月から終戦前日の昭和20年8月14日まで、約50回にも及び、市街地は壊滅し、一面の廃墟となりました。中でも、昭和20年3月13日深夜の空襲は、「第一次大阪大空襲」と呼ばれています。東大阪市でも数回にわたり空襲の実害を受け、死者、家屋等の全焼その他の被害を出し、約3,000戸を超える「建物疎開」が実施されました。
空襲で3,000戸超の建物疎開を実施
大阪の空襲は昭和19年12月から終戦前日の昭和20年8月14日まで、約50回にも及び、市街地は壊滅し、一面の廃墟となりました。中でも、昭和20年3月13日深夜の空襲は、「第一次大阪大空襲」と呼ばれています。東大阪市でも数回にわたり空襲の実害を受け、死者、家屋等の全焼その他の被害を出し、約3,000戸を超える「建物疎開」が実施されました。