高石市
戦争被害の状況
海辺に作られたロシア人俘虜の収容所
明治37年に起きた日露戦争により、海浜一体に約2万8千人を収容した国内最大級の施設「濱寺ロシア人俘虜収容所」が設置されました。俘虜はハーグ条約に基づき、労働作業はなく、所内での遊戯、体操、運動なども自由でした。
太平洋戦争下の国民学校では、高等科の生徒が勤労奉仕で工場に動員され、また、大阪市内の児童の集団疎開の受け入れや、部隊が駐屯しました。
合計8回にわたる大阪大空襲のうち第6次大空襲では隣接する堺市中心部が大きな被害を受け、高石市においても家屋46戸が全焼、死者2人などの被害を受けました。