寝屋川市
戦争被害の状況
空襲で退院準備中に亡くなった人も
昭和19年から始まった空襲は、翌20年に入って激化し、同年6月15日、当時農村であった寝屋川市に該当する地域の各所に焼夷弾が投下されました。仁和寺では軍需工場であったベアリング工場が狙われ、葛原では集会所が全焼、できたばかりだった木屋のポンプ場も焼け、現在の京阪車庫に至る水路付近は1トン爆弾が落下して大穴を開けました。病院からの退院準備中に上空から飛行機の銃撃を受けて死亡した人もいました。
当時の寝屋川市域の戦災については、昭和41年11月に発行された寝屋川市誌に記録されています。