日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

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茨木市

戦争被害の状況

3回の空襲で失われた尊い命
 戦争末期には、茨木市も3回の空襲を受け、尊い命が失われました。1945(昭和20)年6月26日、現在の真砂一丁目付近に大小5発の爆弾が投下され、防空壕へ避難していた家族など、32人が死亡、重軽傷者7人という、茨木最大の被害を出しました。また、7月9日には、玉島尋常小学校で米軍機の機銃掃射により、校舎内に避難していた児童2人が犠牲となり、5人の重軽傷者を出しました。7月19日には、茨木高等女学校でも機銃掃射を受けて、付近の民家への流れ弾で1人が亡くなっています。
 また、戦時下の茨木でも、さまざまな訓練や勤労動員など、戦争の影響が市民の生活全般に及んでいました。
(※「広報いばらき平成27年(2015年)7月号より抜粋」)

茨木中学校(現茨木高等学校)生徒の勤労奉仕作業(大阪府立茨木高等学校久敬会所蔵)
昭和20年代に米軍が撮影した、空襲後の真砂地区の空中写真(国土地理院ホームページより)。爆弾が落ちた跡がはっきりと残る(赤丸内)(国土地理院所蔵)