日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

  1. ホーム
  2. 会員
  3. 被爆80周年事業「未来につなぐ戦争の記憶」
  4. 大阪府
  5. 高槻市

高槻市

戦争被害の状況

大阪の空襲罹災者のために保護所を開設
 空襲が激しくなるにつれ、高槻市は空襲被害の大きかった大阪市域の罹災者などの受け入れ先として位置づけられることになり、大阪府の指示により、戦時要員宿舎施設を確保するため各町会ごとに大きい民家を指定したり、罹災避難者受入保護計画を立てて、寺院・学校・旅館・料理屋など73か所、8,200名収容の保護所を開設しました。さらに、軍需工場の疎開も次第に増えてくるようになりましたが、戦況の悪化とともに、高槻所在の工場の建物疎開が漸次行われ、他に空襲の標的となりやすい国鉄(現JR)高槻駅付近の総計80世帯の民家の疎開も行われました。

出征兵士の武運長久を祈るため、正月元日、田能村(当時)の全村民が樫船神社に集まった
戦争が激しくなるにつれて、外出許可を受けた工兵隊兵士も遊びに行くところがなくなった。 写真は街角に集う下士官たち
小学生も軍事訓練を行った
大阪空襲の救援隊として、大阪高等医学専門学生が出発する様子
大阪高等医学専門学校の運動場。軍の司令で校庭を耕すことになり、陸上競技・球技は廃止された
1945(昭和20)年当時の阿武野村(当時)の疎開児童。子どもたちが都会から戦禍を避けてやってきた