高槻市
戦争被害の状況
大阪の空襲罹災者のために保護所を開設
空襲が激しくなるにつれ、高槻市は空襲被害の大きかった大阪市域の罹災者などの受け入れ先として位置づけられることになり、大阪府の指示により、戦時要員宿舎施設を確保するため各町会ごとに大きい民家を指定したり、罹災避難者受入保護計画を立てて、寺院・学校・旅館・料理屋など73か所、8,200名収容の保護所を開設しました。さらに、軍需工場の疎開も次第に増えてくるようになりましたが、戦況の悪化とともに、高槻所在の工場の建物疎開が漸次行われ、他に空襲の標的となりやすい国鉄(現JR)高槻駅付近の総計80世帯の民家の疎開も行われました。





