吹田市
戦争被害の状況
爆撃目標だった操車場と軍需工場
吹田市では1945(昭和20)年3月4日、米軍の伝単(宣伝ビラ)が初めて撒かれました。その後、伝単撒布を含むと8月1日までに計11回の空襲があり、34人が亡くなり112人が負傷したとのことです。
当時の国鉄吹田駅には「東洋一の操車場」と言われる操車場がありました。空襲を受けた場所は、主にこの操車場付近と神崎川沿いの軍需工場付近でした。
同年6月26日には吹田駅前に1トン爆弾も投下されました。1978(昭和53)年6月に発見された「1トン爆弾の弾頭部の破片」は、吹田市立平和祈念資料館に実物資料として展示されています。
