明和町
戦争被害の状況
通信連隊の基地があった
昭和17年(1942年)から同20年までの3年間、陸軍第七通信連隊一二八部隊の基地がありました。この部隊は、通信兵士を養成する部隊であったため、隊員以外に一期あたり(3カ月程度)1500人程度の通信技術の養成を受ける兵士がおり、約4000人近い兵士たちがこの基地で兵営生活を送っていたと考えられます。
現在でも、この基地跡には、当時の防空壕が残っており、町の文化財に指定されています。
通信連隊の基地があった
昭和17年(1942年)から同20年までの3年間、陸軍第七通信連隊一二八部隊の基地がありました。この部隊は、通信兵士を養成する部隊であったため、隊員以外に一期あたり(3カ月程度)1500人程度の通信技術の養成を受ける兵士がおり、約4000人近い兵士たちがこの基地で兵営生活を送っていたと考えられます。
現在でも、この基地跡には、当時の防空壕が残っており、町の文化財に指定されています。