半田市
戦争被害の状況
多くの犠牲者を出した半田空襲
戦時中、半田市にあった中島飛行機工場においては、艦上攻撃機「天山」と艦上偵察機「彩雲」が生産されており、愛知県内をはじめ、全国各地から多くの中学生・女生徒が動員され、働いていました。
1944(昭和19)年12月7日には、東南海地震が発生し、中島飛行機半田製作所の山方工場、葭野(よしの)工場の従業員153名が、レンガ壁の崩壊等により命をおとしました。このうち96名が動員学徒であり、動員学徒の被害としては、半田が最大でした。さらに、1945(昭和20)年7月24日には中島飛行機工場を目標とした爆撃「半田空襲」により、272名が犠牲になりました。爆撃のあった18分の間に250キロ爆弾が約2200発、1トン爆弾が7発投弾されました。爆弾は工場街の集落にも落下し、その後小型戦闘機が機銃掃射するという、徹底したものでした。




