北方町
戦争被害の状況
町の土地の多くは畑になった
戦前、軍事色が強まる中で、江戸、明治からの目覚ましい商業の発達に加え、俳諧・和歌・茶道・芝居や映画など文化の花がいっせいに咲き出しました。町の人たちは現在でも続く伝統行事をきわめて大切にし、たいへんな盛り上がりでした。しかし、その後の時代の流れによって多くが失われました。戦時中、町の土地という土地は開墾されて、サツマイモ、カボチャ、豆、麦などが作られ、とれたものはすべて供出していました。女学校の生徒たちも農作業に動員され、学校田のほか、出征兵士の留守宅の田植えを慣れない手つきで手伝っていました。戦後になると、戦時中は厳禁だった催しや行事が次々復活し、大人だけでなく子供たちも参加して楽しみました。