上松町
戦争被害の状況
国民学校の校庭は大豆畑になった
上松町からも多くの人が軍人として出征し、生きては帰れないと覚悟し、故郷に思いを残し軍隊へ。戦死者は271人を数えます。
国を挙げての決戦体制の中、国民学校児童といえども戦争遂行に協力することは当然のこととされ、農事手伝い、戦没兵士のお墓清掃等をはじめ、戦況の緊迫化に伴い、児童の勤労奉仕も次第に多くなりました。荻原国民学校では、深刻な食料不足を解決するため校庭が大豆畑となり、通学路脇も開墾され大豆がつくられたとされています。
昭和14年、18年、20年には200戸前後のたび重なる大火災が、昭和25年には615戸2,797人が罹災する大火が上松町を襲い、戦時中及び戦後の町民に大きな打撃を与えました。

