南アルプス市
戦争被害の状況
南アルプス市にも飛行場があった!! ロタコ(御勅使河原(みだいがわら)飛行場)
今から80年前、日本有数の扇状地として知られる、御勅使川扇状地の上(現在の飯野・源地区)に、旧日本陸軍が地域の人々などを動員してつくった飛行場がありました。
飛行場の名前は、記録には御勅使河原飛行場とも記されていますが、もっぱら「ロタコ」という暗号名で呼ばれていました。ロタコとは、第2立川航空廠(こうくうしょう)を表す旧日本陸軍の暗号名で、「ロ」は、イロハのロ、つまり第2を表し、「タ」は立川、「コ」は航空廠 をそれぞれ表すといわれています。このロタコは、東京の立川にあった航空廠(航空機の工場、研究施設、飛行場などをあわせた複合的軍事施設)を疎開させて、敵から隠すための秘密の飛行場として計画されたものです。
建設工事では、大型機も離着陸可能な長さ1,500m、幅100mの滑走路を中心として、飛行機の格納庫や滑走路と格納庫を結ぶ誘導路。飛行機を隠す掩体(えんたい)壕(ごう)と呼ばれる施設などがつくられました。
また、御勅使川扇状地の西側に沿ってそびえる山の斜面には、物資の保管や飛行機の工場にするために、数多くの横穴 (現在これらの横穴壕は全て埋まってしまい開口しているものはありません)が掘られました。
これらの施設は、広大な御勅使川扇状地上の800ヘクタールもの範囲に点在し現在でもその痕跡をいたるところに見ることができます。
ロタコの建設工事には、現在の南アルプス市を中心とする釜無川西岸地域から、少なくとも1日3,000人の地域の人々が動員されて働いたほか、市内の小学生や旧制甲府中学の学生なども動員されました。
また、危険を伴う横穴壕の掘削には、もっぱら朝鮮半島出身の労働者が動員されています。
建設工事は、昭和20年3月から本格化し、終戦の日の8月15日まで続けられました。
終戦時滑走路はほぼ完成していたといわれていますが、実際には一~二度旧日本軍の飛行機が離着陸したことが確認されているほか、終戦直後、一度調査のため米軍機が降り立った程度で、飛行場が本格的に使われることはありませんでした。まさに幻の飛行場だったといえます。
しかし、現在の果樹地帯に点々と残されるロタコの遺構や、当時の状況を伝える地域の方々の記憶は、かつて南アルプス市にもたしかに、戦争があったのだということを今に伝える重要な遺跡といえます 。



