甲府市
戦争被害の状況
終戦1か月前の空襲で市街地が消失
甲府市がB29爆撃機による焼夷弾の波状攻撃により炎に包まれ、市内の大半が焦土と化したのは、終戦のわずか1か月ほど前の1945年(昭和20)年7月6日のことでした。
100機を超えるB29による空襲は6日午後11時30分頃から始まり、7日午前2時頃まで続きました。低空で旋回しながらの継続的な爆撃により、多くの人々が強烈な熱風と爆風、猛火にさらされ、市の人口の12万3千人余のうち7万8千人余が罹災し、死者826人、傷者1244人の被害となりました。
甲府駅と県庁を残し、主要な建物のほとんどが罹災、市役所や県立病院を含む市街地の74%にあたる1万8千戸近くの家屋が焼失し、復興が完了するまでに13年余の歳月を要しました。