富山市
戦争被害の状況
地方都市最大の被害となった富山大空襲
1945(昭和20)年8月1日の深夜、富山市上空に侵入してきた米軍のB29大型爆撃機およそ170機が市街地を取り囲むように50万個もの焼夷弾を投下し、あたりは一瞬にして焦土と化しました。
この「富山大空襲」は市街地の99.5%を焼き尽くし、被災した人はおよそ11万人、亡くなった人は2,700人を超え、地方都市としては、人口比で最も多くの犠牲者を出しました。



戦後の復興の歩み
焼け野原からの再建、復興、そして未来へ
空襲から一夜明け、廃墟と化した市街地の様子が明らかになったその日のうちに、当時の岡本茂富山県知事と石坂豊一富山市長が復興に向けた今後の対応を協議し、全国に先駆けて戦後復興への歩みが始まりました。
翌年(昭和21年)には、全国115の戦災復興都市計画の1つとして認可を受け、以降20年にわたる戦災復興事業が関係者の真摯な努力によって着々と実施され、産業、観光、教育、文化等あらゆる方面において戦災からの復興と再生を成し遂げました。
そして戦後80年の月日を経て、富山市は様々な産業と高度な都市機能、多様な文化と歴史を併せ持つ日本海側有数の中核都市として発展を遂げています。
こうした復興の陰には、多くの市民が自らの大切な土地を提供され、土地区画整理事業に協力するなど、先人の復興にかけた熱い思いや献身的な行動があったことを忘れてはなりません。