日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

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小田原市

戦争被害の状況

「玉音放送」の日未明、小田原空襲
 太平洋戦争の敗戦日である1945(昭和20)年8月15日の深夜に、他の都市とともに、小田原は焼夷弾空襲を受けました。
 小田原空襲の直前には、埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市が空襲を受けており、その二都市を攻撃した編隊のうちの一機が、マリアナ諸島の米軍基地へ帰還する途中に小田原を空襲したものと考えられます。しかし、米軍のその日の作戦任務報告書には小田原空襲の記載は一切なく、計画されたものではありませんでした。
 8月15日の小田原空襲での被害は、「戦時下の小田原地方を記録する会」の調査によると、焼失家屋約400軒、死者12名となっています。

小田原空襲の跡:被災した古清水旅館の後方に、焼き尽くされた小田原の町並みが映っています。(出典:小田原市発行リーフレット「伝えておきたい小田原の戦争と平和」)
小田原空襲説明板:高齢者賃貸マンション「プラージュ古清水」の入り口に設置されています。(出典:小田原市発行リーフレット「伝えておきたい小田原の戦争と平和」)
小田原市慰霊塔:明治以来、日本の戦争で亡くなった市全体の戦没者2858名の慰霊のために建立されました。(出典:小田原市発行リーフレット「伝えておきたい小田原の戦争と平和」)

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