多摩市
戦争被害の状況
子どもたちの集団疎開
昭和19年に多摩村(現多摩市)の「吉祥院」「大福寺」「高蔵院」の3つの寺院(学寮)に、東京都山中国民学校(現・品川区立山中小学校)の子どもたちが集団疎開をしました。寺院(学寮)では、子どもたちの暮らしを支え、差し入れや風呂貸しなどの協力を行いました。わずか1年ほどでしたが、疎開をした子どもたちは、親元を離れた心細さだけではなく、食糧不足による空腹や、ノミ・シラミ・皮膚病、集団生活によるストレスなどを抱えました。昭和20年に入ると、毎日のように空襲警報が発令され、子どもたちも危険にさらされるようになりました。村では低空飛行をする艦載機による機銃掃射があり、下校の時に側溝や畔に逃げ込んだ子どももいました。

