国分寺市
戦争被害の状況
市街上空で飛燕がB29に体当たり
昭和12年以降、多くの若者が出征しました。幟旗を立てて見送ることが通例でしたが、昭和19年頃には大規模な見送りは行われなくなりました。
国分寺町(当時)内で起きた最初の空襲被害は昭和20年1月9日のことです。このとき、国分寺町北部を飛行中のB29に対し、日本軍の戦闘機・飛燕が体当たり攻撃を行いました。撃墜されたB29の残骸は広範囲に渡って落下しました。以後,爆撃機・戦闘機が頻繁に飛来するようになり、防空壕の設置が急速に進められました。昭和40年代には、空襲の際に爆発しなかった不発弾が数か所で見つかっています。