日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

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調布市

戦争被害の状況

戦時下の調布
 昭和12年に日中戦争が始まり、戦局が拡大するにつれ、調布からも多くの兵士を戦地へ送ることとなりました。資源や物資を戦争へ回すため、あらゆる金属類が回収の対象とされ、特定の品物の購入も管理されるようになり、我慢の生活が続きました。
 昭和14年から建設の始まった東京調布飛行場は、昭和16年4月に東京府の公共の飛行場として完成して間もなく陸軍の全面使用が決定しました。首都東京の防空を任務とした専任部隊が配置され、同年12月に始まった太平洋戦争下、アメリカの爆撃機が東京へ空襲にやって来るようになると、戦闘機での体当たり攻撃を展開しました。
 現在のつつじケ丘・仙川周辺には、都心部から空襲を逃れて集団疎開の児童がやって来ました。しかし、調布飛行場や中島飛行機武蔵製作所(現在の武蔵野市)が標的とされたことで、昭和20年2月16日以降、調布市域でも空襲の被害が続きました。

金子駅(現在のつつじヶ丘駅)での出征兵士の見送り 昭和 13 年頃 (調布市郷土博物館蔵)
上布田の婦人たちによる防空演習 昭和 10 年代後半(調布市郷土博物館蔵)
戦時下の東京調布飛行場 昭和 10 年代後半(調布市郷土博物館蔵)
昭和 20 年 4 月 7 日に国領に墜落した B29 からの落下機材(調布市郷土博物館蔵)

戦後の復興の歩み

戦後と都市化
 戦後、米軍の占領下に置かれた調布飛行場の西側一帯には、米軍関係者に人糞を肥料としない清浄な野菜を届けるため、土を使わずに液体肥料で栽培する水耕農場が建設されました。
 昭和27年には神代村が神代町となり、昭和30年に調布町と神代町が合併して調布市が誕生しました。日本経済の目覚ましい成長の中、人口の急増とともに都市基盤が急ピッチで整備され、調布市は住宅都市として発展していきます。人口が10万人に達した昭和39年には東京でオリンピックが開催され、市内の甲州街道を聖火リレー、50km競歩、マラソンが通過しました。調布飛行場西側の水耕農場は、オリンピックを機に選手村の建設地となった代々木から移転してきた米軍家族の住宅地区へと変わり、「関東村」と呼ばれました。
 昭和49年に調布基地が日本へ全面返還されると、跡地利用が進み、都立武蔵野の森公園、東京スタジアム、武蔵野の森総合スポーツプラザなどが誕生しました。都営空港となった飛行場には伊豆諸島への便が発着しています。

調布水耕農場でのレタスの収穫作業 昭和 30 年頃(調布市郷土博物館蔵)
関東村での消防訓練 昭和 37 年(調布市郷土博物館蔵)

関連リンク

東部公民館
平和を守り続ける大切さを学び,考える事業として,例年,戦争体験をお聞きする講座,講演会,平和関連展示,映画館,見学会などを実施
https://www.city.chofu.lg.jp/100060/p059025.html
西部公民館
平和についての講演,ミニコンサート,地元中学生のパフォーマンスによる「平和フェスティバル」をはじめ,平和に関する展示,見学会など平和について地域住民とともに考える事業を開催
https://www.city.chofu.lg.jp/100070/p060001.html
北部公民館
幅広い世代の市民とともに様々な視点で過去の戦争や今ある平和について考えるための事業として,講座や講演会,フィールドワーク,関連展示等を開催
https://www.city.chofu.lg.jp/100080/p061005.html
中央図書館
戦争や平和に関する図書を所蔵しているほか,平和祈念図書展示も毎年実施
https://www.city.chofu.lg.jp/100090/p062002.html
郷土博物館
戦時中の暮らしや空襲に関する収蔵資料を常設展示やギャラリー展示などで紹介
https://www.city.chofu.lg.jp/100200/p073000.html