豊島区
戦争被害の状況
①集団学童疎開先での悲劇
豊島区でも戦時中、1944(昭和19)年8月から、集団学童疎開が実施されました。東京など大都市の国民学校で、空襲をさけるために、学校単位で教員と一緒に子どもたちが集団で地方に移ることです。豊島区では27校、約1万人の学童が長野・福島・山形の各県に向いました。
親元を離れた子どもたちは、さびしさや慣れないくらし、作業(農作業やタキギ運びなど)、そして食糧難に苦しみながら、一年余の生活を送りました。
そうしたなか、1945(昭和20)年5月30日夜、長野県山田村(現高山村)山田温泉に集団疎開中の豊島区池袋第五国民学校の子どもたちは大火災にみまわれました。温泉街を焼きつくした、この火災で、八人の女子学童がなくなったのです。空襲をさけ、安全にくらすはずの疎開先での悲劇でした。もっとも、この頃には、空襲自体が疎開先までおよぶようになっていたのですが。(山田温泉には、この八人の犠牲者を慰めるためにたてられた観音像があります。)
②豊島区の空襲被害
東京では、1942(昭和17)年4月の米軍による初空襲後、しばらく空襲はありませんでしたが、1944(昭和19)年8月マリアナ諸島が占領されると、11月以降、B29爆撃機による本格的な空襲が始まります。
豊島区では、1944(昭和19)年12月12日から翌年5月25日までに計11回の空襲被害を受けました。とくに1945(昭和20)年4月13日深夜から、豊島区など東京西北部は、アメリカ軍の猛烈な空襲にさらされました。これは3月10日の下町地区を中心とした、いわゆる東京大空襲に次ぐ、東京への大規模な無差別市街地爆撃の第二波でした。
B29爆撃機352機が出撃し、4月13日22時57分から翌14日2時29分の間に、約2,120トンの焼夷弾(一部爆弾)を投下しました。この結果、死者約2,500人、負傷者約4,800人、罹災家屋約17万戸の甚大な被害が生じ、豊島区では死者778人、負傷者2,523人、罹災家屋34,000戸を数え、区域の約7割が焼失しました。


戦後の復興の歩み
戦後、駅前の焼け跡に長屋式の連鎖商店街(マーケット)がつくられます。その多くは、統制対象の商品をヤミ取引で売っていたため「ヤミ市」といわれました。
池袋では、1946(昭和21)年3月、連鎖商店街「森田組東口マーケット」が開設し、翌年5月には駅の東西に1,200軒以上の店を擁する13のマーケットができました。東口のヤミ市は、戦災復興区画整理事業により1949(昭和24)年から取り壊しが始まり、駅前開発が進みます。一方、西口は1961(昭和36)年から撤去が始まり、池袋からヤミ市は姿を消しました。
池袋では、ヤミ市の撤去と並行して東西に民衆駅(駅ビル)が誕生します。そこを拠点に東横(現東武)、丸物(現パルコ)、西武、三越などのデパートが集まり、周辺に繁華街が広がっていきます。また多くの映画館が集中するなど商業・歓楽街として急速に発展しました。1958(昭和33)年には副都心に指定され、以降、再開発を繰り返しながら、現在もその姿を変えています。
関連リンク
①非核都市宣言
昭和57年7月2日、豊島区は、世界の恒久平和を願い、東京23区で初めて「非核都市宣言」を行ないました。
②4つの公園から「平和」を世界へ発信
池袋西口公園には「平和の像」、南池袋公園には「哀悼の碑」及び「被ばくアオギリ2世」、中池袋公園には「被ばくクスノキ2世」が設置されています。IKE・SUNPARK(としまみどりの防災公園)への「円盤を投げる平和の青年像」の設置に伴い、池袋駅周辺4公園のすべてが平和を願う象徴となり、まちづくりと一体的に、平和の大切さを発信しています。
③記念誌の発行
『平和の像建立記念誌』平成3年発行 『五十年目の祈り』平成7年発行
④平和事業
パネル展示:豊島区庁舎にて原爆被災パネル展、憲法週間パネル展を開催しています。
中学生派遣事業:長崎と広島へ交互に区立中学生を派遣し、施設見学や、被爆体験講話、式典への参列を通して学び、報告書の作成や発表を行い、広く区民へ平和の大切さを伝えています。
語り部派遣事業:区内在住の被ばく経験者の方を区立中学校へ派遣し、語り部講話を行っています。
黙とうの実施:8月6日〔広島原爆被害〕、8月9日〔長崎原爆被害〕、8月15日〔全国戦没者追悼式〕、3月10日〔東京都平和の日〕
⑤豊島区立郷土資料館
豊島区域の歴史・文化を紹介する地域博物館として1984(昭和59)年に開館しました。
これまで、戦中・戦後の区民生活、集団学童疎開、空襲、池袋ヤミ市などをテーマに、戦争と平和を考える展示会を継続的に開催しています。2017(平成29)年の展示リニューアルに伴い、「語り継ぐ・戦争」の常設コーナーを設けました。
豊島区立郷土資料館ホームページ
⑥4・13根津山小さな追悼会(実行委員会)
1945(昭和20)年4月13日~14日東京空襲(城北大空襲)の犠牲者を追悼するため、1995(平成7)年から、毎年4月13日に、区立南池袋公園で追悼会を開催しています。その他、被災証言集(現在まで三集)や「根津山だより」(毎年)の発行、学習会の開催などをおこなっています。なお、「根津山」とは、池袋駅東側の雑木林・野原の通称で、空襲の時、多くの人が逃げ込んだところであり、その一部は遺体の仮埋葬地となりました。
4・13根津山小さな追悼会ホームページ