佐倉市
戦争被害の状況
かつて軍都として栄えた佐倉
戦時中、佐倉には「陸軍・佐倉連隊」が置かれ、飲食店や日用雑貨を扱う商店、写真店、時計店、軍服の仕立屋など、連隊向けの商店が軒を連ねる軍都として賑わいをみせていました。佐倉市には、千葉県内外から若者が集められ、多い時には約4千人もの若者が厳しい訓練に従事していました。
この佐倉の地から、千葉県下の若者が中国・グアム・レイテなどへ出征し、その多くが生きて再び日本の土を踏むことが叶いませんでした。特に有名なレイテ島の戦いにおいても、佐倉に置かれていた「歩兵第五十七連隊」が戦いに参加し、多くの若者が、戦地で悲しい最期を遂げました。
戦後の復興の歩み
佐倉市平和条例に基づき、次世代に平和への思いを継承するための様々な事業を展開
佐倉市は、戦後50周年の節目である平成7年に「佐倉市平和行政の基本に関する条例」を制定し、この条例に基づいて、次世代へ平和への思いを継承するための様々な取り組みを行ってきました。
市内の中学生の代表を被爆地へ派遣する「佐倉平和使節団」や、市内小学校において戦争の語り部のかたの講話と戦争をテーマにした映画の上映を行う「小学校平和祈念講話と映画会」をはじめとする平和事業をこれからも継続し、恒久平和の実現に向けて、未来を担う若者たちに戦争の記憶を継承していくよう尽力していきます。