東海村
戦争被害の状況
恐怖の艦砲射撃
茨城県沿岸は,昭和20年7月17日の深夜から18日の未明にかけて,アメリカ海軍第三艦隊などによる艦砲射撃にさらされました。これは,現在の日立市及びひたちなか市にあった軍需工場を目標とした攻撃でしたが,激しい雨という悪天候の中で放たれた無数の砲弾の大部分は工場敷地外の住宅地や森林に降り注ぎ,周辺住民に多くの被害を与えました。
この被害は現在の東海村地区内にも及び,特に北東にある豊岡地区,白方地区においては,日立市に向けた艦砲射撃の流れ弾が多数着弾し,犠牲者を出しました。
稲妻のような光,すさまじい炸裂音と地響き,どこに落ちるか分からない砲弾の恐ろしさは,砲撃を受けた人々の心に忘れ得ぬ記憶として残りました。
(出典 東海村史編さん委員会.村の歴史と群像.東海村,1992年,p.32)
砲弾の破片
砲弾の着弾地はクレーターのように丸く,穴は直径10m,深さは2m以上あったように思います。雨が降るとプールのような水たまりが見られました。破片の回収に鉄くず回収業者が多く来ていました。国は,鉄等の材料不足のため家庭から強制的に鍋や釜,鍬等の鉄製品を供出させていて,自分も親と一緒に集落の集積所に運んだのを思い出します。
我が家の畑に,着弾した破片が飛んできました。ブラシで研ぐと真っ黒な表面に銅色の光が出ます。鋭い割れ方,切れんばかりの先端,素手では触れない初めて手にした真鍮製爆弾破片です。重さ5kg,形状から砲弾は直径50cm,全長1.5m以上あると推察され,爆弾の大きさと威力を知ることができます。80年近く経過しておりますが,錆び等は全く見られません。
(本原稿は砲弾破片所有者である小林正義氏によって執筆された記事を要約したものです。)