桑折町
戦争被害の状況
桑折町では、日中戦争から太平洋戦争の終結までに千数百人が出征し、554人の戦死者・戦病死者が出ました。出征兵士の中には、シベリアに数年間抑留された人や、インド方面まで転戦した人などもいました。
戦争の長期化に伴い、空襲の被害を避けるための工場疎開、及びその工場で働く従業員家族の受け入れをすることとなりました。また、学童疎開では、主に東京都荒川区や中野区の児童など400名近くを受け入れ、町内の寺や旅館にて、寺関係者や地元住民が食事の世話などにあたりました。



桑折町では、日中戦争から太平洋戦争の終結までに千数百人が出征し、554人の戦死者・戦病死者が出ました。出征兵士の中には、シベリアに数年間抑留された人や、インド方面まで転戦した人などもいました。
戦争の長期化に伴い、空襲の被害を避けるための工場疎開、及びその工場で働く従業員家族の受け入れをすることとなりました。また、学童疎開では、主に東京都荒川区や中野区の児童など400名近くを受け入れ、町内の寺や旅館にて、寺関係者や地元住民が食事の世話などにあたりました。