南三陸町
戦争被害の状況
松の切り株から航空機燃料を製造
1945年(昭和20年)7月の仙台大空襲以降、金華山東方沖合の航空母艦から飛び立った艦載機による機銃掃射・爆撃といった無差別攻撃がなされました。戦時下は、松の切り株を乾留し松やに油を取る「松根油」の製造が行われ、精製された松根油は、オクタン価の高い極めて優秀な航空機燃料になったと記録されています。
また、南三陸町民が陸軍軍人として召集される際は、仙台の第二師団管区の部隊に編入され、満州事変以来の戦没者(戦病死を含む)の数は、実に574名(軍属を含む)に達しました。