日本非核宣言自治体協議会 National Council of Japan Nuclear Free Local Authorities

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札幌市

戦争被害の状況

野菜畑だった大通公園
 札幌は、アジア・太平洋戦争期に軍都として急激に成長しました。現在の豊平区月寒地区には、明治期に「歩兵第二五連隊」が創設されて以後、北部軍司令部や軍司令官官邸、官舎、射撃場、練兵場、陸軍札幌病院などが設置され、一大軍事拠点が形成されていました。
 現在は観光名所として親しまれている市内中心部の大通公園も、戦時中は食糧難を解消するため、野菜畑として活用されました。1945年(昭和20年)7月14日・15日には、アメリカ海軍による北海道を標的とした空襲があり、全道で約3,000人が犠牲となりました。札幌市内でも、変電所や飛行場、石油精製所のタンク、高射砲陣地、機関工場等を標的とした機銃掃射及び爆弾投下が行われ、民間人1人が亡くなりました。

大通公園の野菜畑(出典:HP「札幌市平和バーチャル資料館」より)
歩兵第二五連隊①正門前(出典:HP「札幌市平和バーチャル資料館」より)
歩兵第二五連隊②運動場(出典:HP「札幌市平和バーチャル資料館」より)
札幌飛行場(出典:HP「札幌市平和バーチャル資料館」より)

戦後の復興の歩み

戦後の札幌
 昭和20年(1945年)10月には敗戦にともない札幌にも占領軍が進駐し、豊平館をはじめ大きな建物、円山総合運動場などの施設が接収されました。この年は全国的に大凶作となり、主食糧の配給も不足しがちで、「食糧問題が市政の最重要事」といわれるほどでした。
 翌21年は食糧不足をはじめとする諸物資の不足でヤミ値を生じさせるとともに、インフレが発生しました。札幌でも狸小路の創成川縁一帯にヤミ市ができ、生活必需品を求める市民が集いました。また外地からの引き揚げや疎開者の復帰などは、出生の増加とともに、札幌市の人口を急増させ、住宅不足の状況となりました。
 22年、市長が初めて公選となり、民選市長のもと市民と一体となって市民生活の再建と新しい都市づくりを進め、市の機構も部制が敷かれて1局5部24課となりました。食糧問題や引き揚げ者受け入れなど山積する問題をかかえた市は、翌23年、警察制度、消防制度の改革によって自治体警察、自治体消防が発足し、札幌警察署および消防本部が設置されました。24年、札幌市は創建80周年、自治制施行50周年を迎え、盛大な記念式典が挙行されました。
 このころには経済安定の兆しも現れ、食糧事情も好転し、市民生活も安定の方向に向かいました。25年には、第1回札幌雪まつりが開催され、その後市民の冬のレクリエーションとして定着しました。

札幌時計台
大通公園

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