日本非核宣言自治体協議会  
 
 
核兵器を巡る世界情勢
 
     
 

 1945年7月、米国は初めて核実験に成功し、同年8月6日には広島市にウラン型原子爆弾を、9日には長崎市にプルトニウム型原子爆弾を投下した。未曾有の惨事をもたらした無差別大量破壊兵器は、その後も省みられることなく、戦後の核兵器開発競争へとつながっていった。原子爆弾は、水素爆弾開発へとエスカレートし、核兵器保有国は米、ソ(現ロシア)、英、仏、中の5カ国となった。

 1970年になってようやく核不拡散条約(NPT)が発効し、核兵器保有国は核軍縮条約を誠実に交渉する義務を負い、非核保有国は、核兵器の保有を禁じられた。一方、1968年に発効したラテンアメリカ核兵器禁止条約以降、非核兵器地帯は世界に広がり、1996年までに南半球のほぼ全域が非核兵器地帯となった。

 1989年の冷戦終結以降も核兵器保有国は十分な核軍縮努力を見せないまま、1996年には包括的核実験禁条約(CTBT)が国連で署名されたものの、現在でもその発効に必要な44カ国の批准までには至っていない。その後も米、ロはCTBTに違反しないと主張し、英国も加わった3カ国が臨界前核実験を繰り返しており、核兵器に固執する姿勢を崩していない。

 そのような中、1998年にインドとパキスタンが相次いで核実験を実施し、核拡散の危機が現実のものとなった。2001年の同時多発テロ以降、米国は核政策の見直しを行い、小型核兵器など新たな核兵器の開発を目指そうとしている。 

 さらに、北朝鮮による核兵器保有発言やイランの核開発疑惑など核拡散の危険が高まる中で、2005年5月、NPT再検討会議が開かれた。世界中から平和市長会議や当協議会をはじめ多くの自治体、NGOの代表がニューヨークに集まり各国政府に核兵器廃絶を訴えた。しかしながら会議は核保有国と非核保有国の対立で何の合意もできないまま閉幕し、核兵器廃絶への道が依然として険しいことを示した。

 2006年9月、中央アジア5カ国による非核兵器地帯条約が調印され、非核地帯の拡大に一部進展が見られたが、日本海でミサイル発射実験を行うなど緊迫していた北朝鮮が翌10月に核実験を強行したことは世界中を震撼させた。核不拡散体制は大きく揺らいでいる。

 日本は、原子爆弾による被害を体験した唯一の国であり、広島、長崎のような悲惨な体験を二度と繰り返してはならないという強い使命を持ち、国際社会において核兵器廃絶運動の先頭に立つことが今求められている。

 
 
 
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